☆彡民謡ってなんだ

 そもそも民謡ってなんだと改めて考える時にゆるぎない事実として「民(たみ)の謡(うた)」ということを忘れてはならないような気がします。私の所属する藤本流は「三味線と唄」の流派なので私も両方稽古しているのですが、この「民謡を唄う」ということの一般的なイメージが、三味線へのハードルを押し上げている一つの大きな要因であるようにも思うのです。若手の会員さんたちの中で「三味線が弾きたくて習い始めたのに、唄まで唄わないといけないとは知らなかった」と戸惑いの声をよく聞いたものです。

 さて、世の中にカラオケが嫌いな人はどちらかというと少ないのではないでしょうか。また、自分が人前で唄うのは苦手だとしても、流行歌などを一切聴いたことがないとか唄なんて大嫌い、とかいう人もほとんどいないのではないかと思います。唄は世につれ、の言葉通り唄というのは人間の生活や社会の中で生まれ、育ってきたもの。民謡には特にその色合いが濃いと思います。辛い農作業を少しでも気持ちを楽にして効率的にこなすために唄われた唄、常に死と隣り合わせである漁の景気づけのために唄われた唄、仕事の労をねぎらう唄、お国自慢を他所の人たちに知ってもらうための唄など、民謡は市井の人々の生活に密接にかかわってきたのです。

 この民謡を芸術の域にまで押し上げたのはそれはそれでよいことですが、そのために「民謡ってハァ~から始まってすごく大きな声で唄うもの」「特別な声の出し方を勉強しないと唄えない」「歌詞も昔っぽくてよくわからない」というイメージを植えつけ、現代の人たちに「民謡なんてムリ。とても唄えない」「民謡なんてダサい」とか思われてしまったのはとても残念なことです。

 私はとりあえず、ヘタとか声が出ないとか気にせず、とにかく三味線を弾きながら唄えるところだけでも唄ってみましょうという考えで教えていきたいと思います。そして、いろんな民謡の成り立ちや意味について解説しながら指導やライブ演奏などを行うことで「民謡ってダサくない!」「おとぎ話みたいで情緒がある。楽しい」と一人でも多くの人に思っていただくのを目標にしています。弟子のNさんなんて、おつきあいでカラオケに行っても絶対に1曲も唄わないのに、三味線のお稽古の時はちゃんと弾きながら唄ってくれます。

 最終的には一人で弾き唄いできればなお良しです。だって常に誰かと一緒じゃないと唄ったり演奏したりできないのよりも(それも楽しいですが)、唄も演奏も両方できた方が自分一人で芸として完結できる。一緒に行動できる人がいない時でもいつでもどこでも人に聴いてもらえるんです。それこそ地球の裏側に一人旅している時でも。

 

 とある民謡の歌詞を紹介します。

「おはら庄助さん♪ なんで身上(しんしょう)つぶした 朝寝朝酒朝湯が大好きで そ~れで身上つぶした」

 ご存じの方も多いと思いますが「会津磐梯山」の歌詞です。朝寝坊して酒を飲んで温泉にばかり入っていたから財産を食いつぶしてしまったという歌詞ですが、当の会津の人は次のように唄うそうです。

「おはら庄助さん♪ なんで身上残した 朝寝朝酒朝湯が大嫌い そ~れで身上残した」

 

 地元会津ではおはら庄助さんはとても働き者で財産をたくさん残したんですね!