大阪・関西万博会場の大屋根リングを全部残そうという運動が始まったらしい。
大屋根リングはたしかに素晴らしい。私も2回目の万博訪問(8月)は大屋根リング上を一周することを一番の目的に据えている。パビリオンになかなか入れなかったとしても、それだけで楽しく価値ある経験になるだろうと予想している。リングの一部保存案にも賛成だ。できれば残してほしい。でも難しいなら残さなくてもやむなしと思っている。
ただ、全体保存となると話は別だ。エッフェル塔や太陽の塔も当初は解体予定だったが保存されたことでレガシーになったとの意見があるが、そもそも木造建築である大屋根リングは保存を前提に作られていない。建設時の契約で解体が前提となっているそうだ。ごもっとも。木造リングの保存には防腐・防災(言い換えれば事故防止)に関して莫大な費用と技術が必要なのだ。
それに、制作者が「解体前提」で作ったものを他者が勝手に「永久保存」を言うのはそもそも、制作者に対する敬意に欠けるのではないか。リングが素晴らしい建築アートだと思うからこそ私はそう感じる。そして、万博に興味のない人や、後世の人たちにに大変な負担を強いてまで全体保存するのは間違っていると私は思う。読売新聞に載っていた万博来場者のIさん(一般の方)の意見「お金もかかるなら一部だけ残すのでもよいのでは。万博が終わったら今ほど人も来ないでしょ」に同感。
保存を考えるよりも、今ここにある大屋根リングとそこからの今の景観を楽しむことこそが大切なのではないか。一時の感傷にとらわれて間違えてはいけない。今ここの体験を大切にし、それを各自の思い出として、あるいは日本の記録としてそれぞれの心の中や映像・写真の中に留めておけばよいことだ。旅でも芸術でもその現場、体験の時間そのものが素晴らしいのであって、保存することが素晴らしいのではない。関係者の皆さん、専門家の皆さん、節度ある理にかなった判断をして下さるようにお願いいたします。
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