ソルボンヌ大学の劇団がモリエールの新作劇をAIに書かせて公演を行うらしい。ご想像通り賛否両論ではあるが「劇作家・作曲家協会」のパスカル・ロガール事務局長は「国を代表する作家の評価は守られるべきで、モリエールをまねる機械を作るよりも新しい才能を発掘する方が有益だ」と述べているとのこと。奇しくも名前が「パスカル(人間は考える葦である)」氏だとはもちろん偶然だろうがエスプリが効いているな~。
私も全く同じ感想で、AIモリエールって何の意味があってそんなことするのか。芸術の分野にAIを利用することはやめてほしい。AIがどれだけ優秀であろうと、一人の芸術家の思考や創造を上回ることは今後未来を通しても絶対にない、と私は言いきれる。それが芸術というものなのです。
AI礼賛の風潮にはある一つの重大な視点が抜け落ちていると私は危惧している。「残念ながら世の中は、知性や教養、道徳、公平性、思いやりなどにあふれた人々で満たされているわけではない」ということだ。善良な人々がAIを使えば使うほど「そういうわけではない」方の人に小さく協力してしまう結果になりかねないことに気づいてほしい。また、AIの多用が人類の考える力を少しずつ削っていくことに協力してしまうことにも。
中信美術館で「山本容子版画展」を観た。そこでいただいた冊子で容子さんの対談記事を読み、幅広い知識と教養と経験をお持ちの方だなあと改めて思った。その影響で急に外国文学が読みたくなり、トルーマン・カポーティの「冷血」を読み始めたら仕事中も続きが気になって仕方ない。文庫版で620ページ以上あるものを一気に読むのも健康に悪そうなので我慢してブログなど書いている。このブログの前段「AI礼賛の風潮には~協力してしまうことにも」ってなんだかアメリカ文学の翻訳っぽくないか?
私の家には山本容子さんの版画が一つだけある。エディションナンバー(限定生産を保証するため版画につける通し番号)がないのだけど、本物か複製かわからない。サインは手書きのように見えなくもない。ホテルニューオータニ大阪の刻印があって、スイートルームらしき部屋に女性と鳥かごとチューリップが2本、アンティーク調のソファの向こうに大きな窓が開いていて桜並木と大阪城が見えている(ホテルニューオータニ大阪は大阪城公園のそばにあるのだ)大きめの絵ハガキくらいの作品で、白い額に入っていて、ニューオータニの何かの記念品か、結婚式の引き出物じゃないかと思われる。7~8年前に近所のリサイクル屋さんで申し訳ないほどの金額で購入した。昔から容子さんの作品は好きだったし、チューリップは一番好きな花だし、勤務する会社が大阪城公園の近くに移転したばかりだったのだ。
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