新しく教室に入会したSさんは向上心あふれる人で今後が楽しみです。お稽古終わりに彼女と話したこと。世間では、固いこと言わずに楽しく演奏できたらそれがハッピー! みたいな思想がまかりとおっているが、2人の一致した見解は、ものすごく練習を積んでとても高いレベルに達した人が初めて「楽しく演奏できる」のだということ。
楽しくやれたらそれでいい、とばかりにろくに練習もせずにいて、音楽として成立したものを生み出すことはできないし、もしとても器用な人で一通りの演奏ができたとしても、器用なだけの演奏は薄っぺらい、と私は思っているのです。
Sさんにも話したけど、もう20年近く前のこと。東京にいた時に大学の音楽関係のクラブが集まる演奏会に行きました。コンクールなどで入賞しているレベルの高い学校ばかりが順に出てきて演奏する中で、対照的な2つの学校がありました。
1つは、割とオーソドックスなどちらかといえば固い演奏で、奏者の雰囲気もお行儀よく型通りのもの。もう1つは、まるでジャズのセッションのように楽し気にリズムを取りながら笑顔で演奏している。指揮者なんてダンスを踊っているみたい。何度も言いますが、どちらも音楽的にとてもレベルの高い学校です。
驚くことに、前者のお固い演奏の方が私は何倍も感動したのです。それまでは私も「音楽って楽しいのが一番!」と思っていたのでこれは衝撃の経験でした。演奏において「(目に見える)楽しさ」というものはさほど大きな価値のあることじゃないんだなと感じました。三味線を始める前のこの経験は、私にとってとても大きな財産だなあと思っています。
そんな話をしていてふと思い出したのが、2020年に亡くなられた文楽の豊竹 嶋太夫師のこと。
嶋太夫さんは若くして文楽に入門しますが、事情があって一時期文楽をやめ、一般の仕事をしていたそうです。それでも文楽への思いを失うことなく、後年文楽大夫の道に戻られます。文楽を去る時の悲しみ、また年齢を重ねてからの再入門にいろいろなご苦労もあったことでしょう。6人の弟子を育て、人間国宝にも認定された嶋太夫さんの言葉。「浄瑠璃(文楽)に楽しい思い出はない。それでも大好きでした」
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kirokuya (日曜日, 03 4月 2022 07:17)
雛澪さんおはようございます。
演奏スタイルの違う2つの音楽クラブのこと、興味深く拝読しました。私は、ウーン‥あまりこだわらないかな。観客としてその場に居たら、両方共(楽しもう)というスタンスです。(その場)に居辛くなったら(その場)を選んだ自分の選択ミスとして立ち去ります。
余談:先日とあるライブでの演者さんの一言。
‘難しい曲を難しそうに弾いてたらまだまだあかん’みたいなこと‥
然りかと思います。
ブログ本文からは少しズレましたが、ご容赦くだされ。
雛澪 (日曜日, 03 4月 2022 21:53)
kirokuyaさんありがとうございます。
「難しい曲を難しそうに弾いてたらあかん」本当にそのとおりですね。
あまり力まずに弾くことができた時はいい演奏になっています。
それとは別に、私は芸の道に関して苦しい、辛い、というのをなんだか
楽しんでいるところもあります。こんなしんどさを味わえるのは幸せなことだなあと。
嶋太夫さんのおっしゃったこともそういうことなのかなとか思っています。
kirokuya (月曜日, 04 4月 2022 04:15)
芸人さんに対する眼差しは、敬意と憧憬と少しの嫉妬です。自分の感性を磨き、芸人さんの発信を受け入れていけたらなぁと思います。また再び芸能の神様に出会える日まで‥