☆彡楽器と奏者の関係あるある その2

 さて、そのよほど重要な演奏が昨年の6月にある予定でした。私の所属する藤本流の東京本部に行って、昇格試験を受けるためです。師匠や同門の姉弟子と私6名ほどで東京に行きます。試験の1か月くらい前までに皮を張り替えるようにと師匠が仰ったのでそのつもりにしていると、ある日三味線を出してみたら皮が破れているではありませんか!

 やった! と私は心の中で叫びました。皮が破れたこと自体は何度見ても辛い光景ですが、破れていない皮を張り替えるのと破れた皮を張り替えるのとでは心持が全く違います。破れていない場合は何となく「まだ使えそう。なんかモッタイナイ……」とビンボーくさい残念さを感じてしまいますが、破れたということは「そろそろ張り替えるべき時だったんだな」と納得できるし、皮に対しても最後の最後まで無駄なく使ってあげたんだなと思えます。この長棹三味線は本当に普段からいい子なのですが、こんなところまで奏者思いなんだなあと感心していました。

 それからほどなく、コロナの流行により東京行きが延期となってしまいました。長棹三味線は結局破れたままなので、普段のお稽古に短棹を使い始めました。当初この短棹は長棹と比べると音がキンキンする感じがしてあまり好きではなかったのですが、弾き込んでいるうちに柔らかいよい音になってきました。三味線は弾けば弾くほど音がよくなるので、お稽古をさぼって置いたままにしているとなかなか鳴ってくれません。1年ほど短棹を使ってきて、よい音になったのを通り越して最近はちょっとぼやけた音になってきました。短棹の皮もそろそろ替え時なのかもしれません。

 先週師匠のお稽古に行った時、延期していた昇格試験のめどが立ちそうだというお話がありました。この時のために皮が破れたまま置いてあった長棹に新しい皮を張ってもらう時がようやく訪れました。試験には長年苦楽を共にしてきた長棹三味線で臨む予定なのです。例え民謡のスタンダードが短棹三味線であってもここは譲れないところなんです。しばらく長棹を使っていなかったので慣れるために、試験よりもかなり早めに皮張りに出す予定です。

 さてここまでは長い長い前置きです。私が今回何を書きたかったかというと、ここ最近になって、ボヨボヨだった短棹がなぜか再びよい音なってきたということです。まるで彼氏が他の女性に行ってしまいそうで、必死になってつくし直している女の人みたいで、見ようによってはちょっとオカルトチックです。長棹に戻ってもまた必要に応じて短棹にもお世話になると思いますので、あまり感情的にはならないでほしいです。

 気味悪い話を書くなあと感じた方もいらっしゃるかと思いますが、特に私がへんてこな精神状態になっているのではありません。ブラスバンドとか音楽をしていた方には、楽器と奏者の関係あるあるなんじゃないかな。楽器に名前をつけるのはさすがに気持ち悪いかなと思ってもうやめています。長棹三味線についてはもっとスピリチュアルな話がたくさんありますが、それはまたの機会に。