☆彡私が三味線を始めた日 その2

失意のうちに大阪に戻り、50日間入院しその後半年くらい通院治療を行いました。徐々に体力が回復してきた私は、大阪を本拠とする伝統芸能「人形浄瑠璃 文楽」に通い始めました。40代に入ってそれまでとは違い日本的なもののよさも少し感じ始めたころで、三味線のこともなんとなくちょっと素敵だな~とは思っていました。

日本橋の国立文楽劇場はなじみのある難波の街に近いこともあり、高校生くらいの時から気になっていましたし、放送大学でも伝統演劇の授業が少しあり興味を持ちました。協力隊で派遣が決まった時、四大演劇(能・狂言・歌舞伎・文楽)を一通りは知っておかないといけないなと思って観たところ、文楽の洗練された舞台に夢中になりました。公演を観るのと並行して大阪市立大学の上方文化講座も受講しました。毎年夏に一般からも聴講生を募集して学生さんとともにまるまる3日間、朝から夕方まで文楽の講義を受けるという夢の講座です。

ここにゲスト講師として毎年来て下さっているのが竹本錣太夫さん、桐竹勘十郎さん、鶴澤清介さんのお三方と、アシスタントとしてお弟子さんたち。鼎談のコーナーで清介さんが話しながら三味線を軽く鳴らしているのを聴いて「な……なんて三味線ってカッコいいんだ!」とびっくりしました。

家に帰った私はインターネットに「三味線教室 大阪」と入力します。そしていくつか調べた中で、一番月謝が安い教室を選びます。実は月謝が安いことには理由があって、三味線教室ではなく三味線サークルだったため、師匠が来て下さるのは月1回だけで、あと3回(だったかな?)は先輩方が教えてくれるという部活のようなところだったのです。でも初めて伝統芸能を習う身としては、教室よりもそういう柔らかい感じのところの方が安心できます。文楽の三味線と私がやっている民謡三味線はジャンルも楽器の種類も全く違いますが、この時はそんなことなど知る由もなかったのです。

 さてサークルの体験に行くという当日、私はかなり早く家を出て教室近くまで行きましたが、本当に体験に行くかどうかちょっと迷い始めていました。深い意味はありません。新しいことを始めるのは好きなのですが、それがサークルとかの団体となると「怖い感じのところだったらどうしよう」「その場になじめないかもしれないし」「日本の習い事なんて初めてだし」などとネガティブな思いが次々と浮かんできて

「まだ今なら都合が悪くなったとか言って体験を辞められる。習い事したらお金もかかるしな~、そのお金で旅行とかした方がいいかもな~」などと最悪の心理状態に。

 とりあえずどうするにしても時間は充分あるので、天神橋筋商店街のはずれにあるケーキ屋「西洋菓子処 シェール」さんに入りました。おいしかったです。しばらく迷った後「まあせっかくここまで出てきたし、イヤなら体験だけでやめたらいいし、このまま帰ったら交通費がもったいないし(笑)」と自分に無理やり言い聞かせてドキドキしながら教室に向かいました。

                   <その3に続く>