☆彡私が三味線を始めた日 その3

 教室に行くと師匠の来ている日で、会員の人たちが団体稽古をしていました。体験者は私を含む4人。初めはお稽古の見学です。子供の頃はピアノを習い、部活では吹奏楽などの経験がありますが、和楽器のお稽古は初めて見る雰囲気です。

 いよいよ体験の時間になりました。先輩方の三味線をお借りして、構え方や撥の持ち方から教わります。緊張で手が震えました。その後2カ月くらいの間、三味線を触るたびに手が震えました。楽器経験があるが故の緊張だと思います。楽器を触ること、特に人の楽器を触ることへの畏れを知っているからです。といって、別に楽器に対して緊張することを推奨しているわけではないですよ、念のため。

 「さくら」の譜面が配られて、譜の読み方を教わります。文化譜といって、洋楽の五線譜よりとても簡単です。さあ三味線を鳴らしてみましょう。あれ? あれ? 糸にうまく撥を当てるのが難しい。一緒に体験した4人の中で私が一番ヘタでした。30分くらいの体験の中で「さくら」をなんとか最後まで弾けた人もいるのに私はワンフレーズしかできませんでした。なのに4人の中で三味線を長く続けたのは私1人だけなんです。

 全然できなかったにも関わらず、なぜかすごく楽しかったです。体験が終わって自分から「入会したいので、次はいつ来たらいいですか?」なんて尋ねていました。ホントに不思議です。

 翌週からサークルに通い始め、WさんやYちゃんをはじめとする先輩方に手取り足取り教えていただき、月に1度は師匠に教えていただきました。サークルのレンタル用三味線も、本来は交代で借りるのですが、私のほかに三味線を持っていなかったYさんが「自分は家ではお稽古しないから、山田さんが毎回持って帰っていいよ」なんて言ってくれたのも幸いし、毎日お稽古に励みました。そうして1年半くらいたった頃、私はYちゃんやその他数名の会員とともにサークルを抜け、師匠の教室に正式に入門したのです。

 サークル時代も含めて約5年間師匠にはお世話になり、演奏の基本や三味線に対する心構えなどしっかり教えていただきました。今の師匠の一門に移った時に「前の師匠はとてもきちんと指導されていますね」と驚かれたほどです。今の師匠からはさらに演奏・唄に関して細やかにご指導いただくほか、日常生活で心がけるべきことやそれを舞台に生かすことについてなども教えていただいています。

 よい師匠方とめぐり合い、お稽古を制限されることのないよい三味線環境に置かれ、また三味線に対する姿勢や演奏を尊敬できる夫(津軽三味線奏者 高橋 栄水)と出逢ったことなど、神様が私に三味線の道を歩むよう与えてくれたものばかりだと、感謝してもしきれない思いです。夫とも話していたのですが、私が病気にならずに中国に派遣されて日本語教師の道を歩んでいたら今とは全く違った人生になっていただろうし、体験教室の日にケーキだけ食べて家に帰っていたら今の私はありませんし、夫と出会うこともなかったのです。

 何年もかけて準備していた協力隊がだめになり重大な病気にもなって、もう残りの人生はおまけみたいなものかもしれないと思っていたのに、病気をしても大人になってから随分たっても、いつでも人生は大きく変化するものなんだなあと感じています。また、自分で人生を変えようと必死で頑張ったわけでなく、普段のことを普通に頑張っているだけで神様はちゃんと私の進むべき道に導いてくれたんだなあととても不思議に思っています。

                                     <この項 おわり>