☆彡映画「キネマの神様」

 このブログの読者、M氏絶賛の『キネマの神様(山田洋次監督)』をようやく観に行くことができました。大変よかったです。観る人によって感じ取るポイントやどの人物に思い入れがあるかなどがかなり変わる作品なのではないでしょうか。

 諦めざるを得なかった夢、人生における様々な選択、その選択により大きく流れが変わることがある。その選択は正しかったのか、その選択をさせたことは正しかったのか。思い通りにいかない人生、どうしようもない人間、それでもその人生を愛してゆくこと。

 原田マハさんの原作には、登場人物たちの若き日のくだりはないそうです(原田さんが映画をノベライズした小説にはあります)。現在から昔に一気にタイムトリップするところ、映画というものの魅力が最大に生かされています。そして映画作りに情熱を燃やす彼らの若い日の場面の一つ一つが宝石のよう。これらの場面がなかったら物語としてはどうなのかな? とちょっと思います。

 正直、現在の年老いた主人公ゴウや淑子さん、娘の歩さんにはあまり心を動かされませんでした。酒と博打に溺れて借金まみれのどうしようもない老人だけど、どこか憎めない可愛げのある男、という主人公の設定だったのでしょうが、私は甘ったれた男が嫌いなのでホントにどうしようもない老人にしか見えませんでした。助監督時代はあれだけ熱く映画を語っていたくせに初監督作で大失敗してお蔵入り、すぐに映画をあきらめて故郷に帰ってから50年、ずっと映画を愛し続けていたとは言うけれど、彼が50年間映画に関して何かをしていましたか? 単に映画館に通い詰めていたってだけじゃないですか。そんなの私でもできるわ!

 そして映画を愛し続けた人生の最後にキネマの神様が大きなプレゼントをくれます。が、待てよ……。それとて、彼が自分で何かしました? 昔書いていたシナリオを見つけ出した孫に絶賛されて、現代風に書き直したのもほとんど孫の力。その作品で賞をとって……ってキネマの神様、甘すぎます。ゴウを現代の寅さんみたいなイメージにしたかったのかもしれませんが、似て非なるもの。人間のレベルが違いすぎます。

 なんで淑子ちゃんはゴウがよかったのでしょう。私だったら絶対にテラシンさんと結婚するわ!! 理想ばかりで結局何もできなかったゴウより、地味でもコツコツ誠実に生きて、若い頃に抱いていた二番目の夢を実現したテラシンさんの方がずーっと魅力的な男だわ。一番じゃなくて二番目の夢(でもちゃんと思い描いていた、本当にやりたかったこと)ってところも渋いじゃないですか。年老いた淑子ちゃんが、パート募集の貼紙を見てテラシンさんの映画館『テアトル銀幕』に来た時「あ、この映画館の名前は……昔テラシンさんが言ってた」と思い出さなかったのは、それだけテラシンさんに対して気がなかったということなのかしら。でもよく考えたら、作中人物は気づいてなくて観客が気づいてる、ってなんかすごい構図ですね。

 

 山田監督の映画は、ストーリーはそれほど目新しいものでなくても登場人物の魅力でとてもいい作品に仕上がっているというのが多いと思います。それも、作中の人物像と役者さんが大変フィッティングしている感じが大きいです。さすがは車寅次郎を生んだ人ですね。特に北川景子さんのオーラには圧倒されました。永野芽郁さんもいい女優さんですね。

 

 この映画には小津安二郎監督はじめ、いろんな監督や映画へのオマージュがいっぱい詰まっています。山田監督の映画愛、映画人に対する愛もいっぱい詰まっています。あんまり言われてるの聞かないけど『ニューシネマパラダイス』へのオマージュもあるのかな? それから、読売新聞に載っていたインタビューによると、スクリーンから俳優が飛び出してくるという設定は、手塚治虫さんが生前山田監督に「(海外のそういう映画が)とてもよかったからあなたもそういう映画を作ったら?」と言ったのを実現されたそうです。

 

最後にクイズです

 

問:寅さんマニアの私が、若き日のゴウで一つだけ「これは寅さんやな」と思った場面・セリフがあります。それはどこでしょう。

 

 

答:ゴウがテラシンに淑子ちゃんへのラブレターを書くよう焚きつける場面。「お前は字がきれいだし文章もうまい」っていうセリフです。うろ覚えなので違ってたらすみません。